デートで彼女に美術館に連れられてつまらなそうにする多くのアート無関心族に送る第一弾の記事です。私もその一人でした。知り合いの家が、まさに個人ミュージアムでひたすら、一時間アートについてのうんちくを聞かされ、「アートの何がいいの?」っていつも思っていました。分からない中で、二つの仮説が思い浮かびました。① 「ビジュアル」家の中がおしゃれに装飾される快感。この良さは、まるでおしゃれに凝る女の子の気持ちに近いのでは?② 「ストーリーへの共感」画家の行き方や哲学に共感し、その人が生み出す作品のストーリーや背景にも共感するような想い。これは、まるで村上春樹の作品を愛している文学女子の気持ちに近いのでは?しかし、考えていけばいくほど、美術を面白いと思う人と面白くないと思う人の違いは、脳にあるのではないか?と考えるようになりました。これは美術に限った話ではないのですが、人は、基本的に自分にとって価値のあるものだと思わない限り、興味を持つことは決してありません。これは、人間の脳が長い間かけて進化した、「情報の自動振り分け機」専門的には、RAS(網様体賦活系)と呼ばれるものが、あなたにとっての情報の価値を決めます。【参考情報】https://ameblo.jp/amaterukuniteruhiko/entry-11459283086.htmlおそらく、天才と呼ばれる人は、誤解を恐れずにいうと、この「情報の自動振り分け機」が壊れており、すべてを意味あるものと認知し、記憶できてしまいます。映画レインマンの主人公レイモンドはサヴァン症候群ですが、おそらくこの情報の「自動振り分け機」が壊れてるが故に、例えばランダムな年月日の曜日を言えたりするのでしょう。さて、何が言いたいかというと、アートに興味を持っている人と持っていない人の違いはシンプルで「自分にとってアートが意味のあるもの」と思っているか思っていないかの差だということです。私も最初は、アートに対して、生きていくうえで全く意味のないものだと思っていました。それよりも実用的な学問、例えばプログラミングや英語学習の方が自分にとって優先度が高かったです。しかし、アートを見る・学ぶことで、日々の表現方法に活かされるのでは?このように実感するようになり、「自動振り分け機」がアート関連の情報を頭の中の大事な棚に入れてくれるようになりました。人それぞれ、アートの価値や意味を見出す瞬間があると思います。そして興味をまだ持ててない人も、“その瞬間”が必ずあります。その時までに、少しでいいのでアンテナを張っておくといいかもしれません。